【リーダーシップのための内省ってどんな感じ?】



皆さんこんにちは!

きみはるです。
猛暑が続きますがお元気でしょうか?

僕たちはというと、
とある企業様の研修で一週間静岡に山籠りしたり、
「人とロボットの共生」を考える開発系のワークショップを開いたり、
次の海外事業に向けてワクワクの準備を楽しんだり、、、

うだる暑さをエネルギーに変えて、
引き続きそれぞれのプレイフルを探求中。

さて、そんな僕たちのワークショップ。
とくにリーダーシップ開発を目的とするものの中では、
「内省」と呼ばれるコンテンツが重要な位置を占めたりします。

リーダーシップという言葉はとっても曖昧で、日々変化しています。
世の中にはそれこそ掃いて捨てるほどの教材や研修があふれてますよね。

その中で、
僕たちが考える「リーダーシップ」
それは、
「内省力(気づき、受け入れる力)」X「選択する力」
です。
自分の感情、想い、願い、価値観、パラダイムに気づき、
そんな自分を受け入れ、
自分の理想であれ、そうでないにしても、自覚的に選択して行動する。
そんな在り方が、自分や組織、そして世の中を、
パワフルにエンパワーしていくための
大切な要素なんじゃないかなぁと考えるからです。

だから、リーダーシップを育む上で、内省は欠かせない。
そんな思いで、研修やワークショップの多くの時間を
「内省」に割いていたりします。

「なんかよくわからん」
「それってどうやんの?」
「というかこっからメンバーはしっかり内省できてるの?」

そうですよね笑。
そんな疑問をぶつけられること、けっこうあります笑。

お答えすると、
はい、けっこうしっかりやっています。

今日はそんな僕たちの実践を、
最近の経営合宿での一幕を一例に御紹介したいと思います。

3ヶ月に1度行うこの経営合宿。
普段は滅多に一同に会することのないこっからにとって、
事業関連の情報共有はもちろん、
普段よりも一段深い部分で対話し、互いに内省する貴重な機会です。

けっこうな時間をぼけたり突っ込んだりふざけながら、
大切なことはしっかり大切に扱う。そんな会議です。

たとえば僕でいうと。

最近、メンバー間のコミュニケーションの形にどうも気になる部分あった。
特定のメンバー間で、フェアなコミュニケーションが取られていないように見える。
同じ目線にたてているか?
少しの想いやりをもって、相手の立場に立って、
肩を並べた気持ちのよい関係でいたい。

そんな想いから、
「自分はそんなコミュニケーションを目にするとき、不快に感じる」
とメンバーに打ち明けます。

この言葉をきっかけに、場は若干ヒートアップします。
ヒートアップはしますが、お互いの意図と想いをしっかり汲み取りながら、
言葉を紡ぎます。
周りは時に見守り、時に介入し、ぶつけ合いではなく、
受け止め合いが行われることに
注力します。

そんな会話の中で、僕に投げかけられた一言。

「当事者でないキミハルがこの問題を指摘したこと自体が象徴的じゃない?」
「これを問題だと感じた自分の中に何があるか、しっかり見て(内省して)ほしい」

それに対し、

「いやいや、不快に思うだけやん」
「気持ちいいコミュニケーションとりたいのは当たり前やん」

とはなりません。
無意識に反応しても得られる気づきは少ないからです。

ぐっと自分の中を見に行く。

う~ん。。。何があるか。。。
なんでこの問題を大事だと思うんだろ。。
そもそも、会社にジョインして3ヶ月、
早くもそういう問題が見えるのはなぜなんだろう。。。

「関係性を大切にする気持ちはもちろんある一方で、なんとなく、あらゆる物事に触れるときに、『何か課題があるんじゃないか』と思って見てる部分があるかも」

そう答えます。
確かにある。
耳にするニュース、本、主張や制度。
意識せず観察するときは、なんとなく「課題」を探す自分。
そしてそれを「解決」しなきゃいけないと思う自分。

あるなぁ。
そんな気づきを得られたことで少しほっとします。

が、それでもメンバーの問いかけは止みません笑。

「いやそれもあると思うけど、キミハルのいろんな話聞いてると、何でも『対等である』ことに対して、強い思いがあるように見えてるよ」

「いやお前はその意見どの立場からゆーてんねん!」

とはなりません笑。

僕自身の内省と気づきを意図して投げかけてくれている。
それが伝わるからです。

再び深く、自分の中を覗きます。

うーーーん。確かにある。
「人は対等であるべき」「自分が対等でありたい(劣りたくない)」
「見下しや理不尽な立場の差は悪だ」
そんな自分の価値観の枠組み(パラダイム)が見えてきます。
思い浮かぶのは、生まれ育った亭主関白の家庭(両親同士は満足)や、
前職での職種間の格差、世界中で目にした国や民族間の格差。
原因はわからないけど、確かに色んな経験を基に蓄積された価値観がある。

これはきついなー。認めるのもしんどい。
自分が弱く見えるんじゃないか。

そんな少しの怖さがありつつも、
「たしかにある。」
少しエピソードを添えて、そう答えます。

そして、
それはそれとして、対話は終了します。

そんな自分がどうであるとか、そんな考えは捨てるべきとか、
言ってくれてありがとう!偉いな!正解!とか笑、
是非の議論や価値判断は一切しません。
メンバーは黙って頷き、受け取ります。

そんな自分がいるといったん認知する(受容する)ところで十分。
良い悪いはありません。
あとは、似たような場面に遭遇したとき、自分は本当はどうしたいのか。
自覚的に選択をするスペースができているからです。

だから僕たちは、そんな真剣な話があったことなんて忘れてしまうぐらい、
再びおふざけモードに入り、夜の宴を楽しむわけです。

という具合に、どうでしょう皆さん?
場作りではヘラヘラすることも多い僕たちですが、
意外に日々真剣に、内省を繰り返しています笑。

「なんとなくわかったけどもっと知りたい」という方、
「いいなーやってみたい」と思った方、
ぜひこっからにお声がけください!

自分一人ではなかなか難しいこともありますが、
周りからのフィードバックや対話を通じて得られる気づきもあったりしますよー。

そして次回はゆーし、よろしく~。

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