こんにちは、直紀です。今日は2019年6月の合宿について。
経営合宿も何回目かわからないけど、
毎度毎度、大きな前進を感じる。
ルールを決めたわけでも、仕組みを決めたわけでもないけど。
改めて、僕らの強みはおもしろい(=Playful)に戻れること。
過去の合理性や正しさを起点に物事を決めたり、処理するのではなくて。
もめたりするじゃないですが、大人が6人も集まっていたら。
で、3年続けていくと、ちょっとなんとなくつかめたこともあって。
もめごとをルールや仕組みで起きないようにするのは無理ってこと。
許し合えるか、なんです。許す、という言葉を使ってしまうと、
許す側と許される側の分断が起きてしまうので正確なニュアンスではないですが。
お互いを「含み合えるか」なんです。
吉野源三郎という人がいます。「僕たちはどう生きるか」という本を書いた
戦後インテリ・リベラルの代表のような方。僕はとても尊敬しています。
その人の本で、「人間を生きる」という本があります。タイトル重いな~笑
そこで、ナチス・ドイツのエピソードがでてきます。
当時のナチスの軍隊がユダヤ人の親子を捕まえて、
親の前で、1歳になる赤ちゃんを放り投げて、ピストルで打つ遊びをやっていたと。
そこには打つ軍人の小さい子供も居て、弾がうまく赤ちゃんに命中したら
その子供がケラケラ笑うと。読んでいて、吐き気がする話です。
呼吸が苦しくなります。
でも、ここで目を背けず、見ないといけないのは、
「そいつと僕は同じ人間で、僕もその人になる可能性があるということ」
つまり、僕自身にも一ミリでもその狂気を秘めている可能性があるという事実を
無いことにするのか、そこさえもあるかもしれないところに立つのか。
そんな人間を軽蔑し、断絶をするのではなく、
そこさえも含めるか。そして、それを感じきったら、
やっぱり自分が大切にしたいことが浮かび上がってくる。
一瞬一瞬、漸進的に、自分の大切にしたい方を選ぶ。
吉野さんは、それを賭けるという言葉を使っています。
話が、極端でしたね。
こんなに小さい頃から仲いい友達達でも、
やっぱり許せないこととか、それは違うと思う、ということの連続なんです。
お笑い芸人がお互い好きなのに一緒にいない、
みたいな気持ち、わかります。(同じかどうか不明ww)
大切なのは、涙が出るほど勇気のいる時間をみんなでわかちあい、
自分たちの苦しみや弱みをちゃんと見つめ、
自分たちの苦しみや弱みをちゃんと見つめ、
すべてを無いことにせず、あることを受け取り、分かち合い、味わいきる。
健全に絶望し、そして湧いてくる大切にしたい気持ちに素直になれるか。
そして、次に進む。
その全てのプロセスと僕たちを
Playfulが大きく包んでくれている感覚。
最後は面白いかどうかで決めれるのは、実はどこにも負けない強みかも。
こんな感覚を共有できる仲間、募集しています。
いつでも連絡くださいね!笑
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