【元外交官が26000kmのコーチング・キャラバンを通じて感じた3つのこと】




みなさんこんにちは。
キミハルです。
東京は急に冷え込んできましたが皆さん風邪などひかれてませんか?

さて本日は、先週行った1週間のアメリカ出張についてのレポートです。
「元外交官が26000kmのコーチング・キャラバンを通じて感じた3つのこと」とは?
真面目な内容なのでテレビを見たり酒を飲みながら読まれることをお勧めします!(所要約7分)

今回の旅の目的は、今年実施したグローバルでの対話ワークショップのフォローアップ。
(過去2回のワークショップの様子はこちらこちら

各参加者との1on1ミーティングを通じ、「それぞれの今」をシェアします。
それぞれの変容はどうか?課題は何か?
自分の在りたい姿を止めているものがあるとすれば、それは何か?
対話を通じて内省を共にするコーチングの旅です。

今回はまぁとにかく体力勝負笑。
東京→サンフランシスコ→シカゴ→コネチカット州・ハートフォード→コロラド州・デンバー→サンフランシスコ→ロサンゼルス→東京を1週間で。
(サンフランシスコ・ホテル前)

(街はクリスマス一色)

合計7回のフライトと陸路をつなぐ総移動距離は、26,000km
のべ19名との面談は、長い人で4時間以上。
色んな国籍の方と、多い日は5、6名とお会いし、早朝か夜に移動を繰り返す。
体調管理がある意味最も大変でした。
(荒野をただひた走ったり)

コーチングは、前職である外交官のアポとはまた性質が異なります。
できる限り多くの情報を引き出し、こちらの立場を正確に伝え、ロジカルに交渉する。
そんな左脳力やプレゼン技術というよりも、
相手に寄り添い、全身で聴き続け、時に率直にフィードバックし、内面を探求する。
全身力を用いるまた別の真剣勝負があります。

向き合い、受け止め、わかち合う濃密な時間は、
それだけでとても豊かですが、同時に心身のエネルギーも消費します笑。
それでもこんなに深い学びの機会を頂けるなんて、ほんとうに奇跡的。
時に頭がぼ〜っとしながらも、空を飛びながら僕が感じたこと。
たくさんあるのですが、今回は3つだけシェアさせてください笑。
(ここから文調も変わりますが悪しからず)

感じたことその1:変化は真実を語ることで生まれる


人よりも意見の強い人がいた。
主張が強く、国際社会では時に必要なスキルだ。
それでもコラボレーションの観点からは、強みが妨げになることもある。
そんな人に、「人の言うこと聞いた方がいいですよ、あなたが損をしますよ」と諭しても、変化は起きにくい。
人は変化を嫌うのではなく、他人に変化を強いられることを嫌う。
正論よろしく一般論やコミュニケーション手法を振りかざして
「何をすべき」か諭しても、
反作用でむしろ真逆の結果を招いたりする。
仮にそれが上司や権力ある者からの言葉だとしても、命令には従うが共感は生まない。
そんな行動は上手くいけばよいが、失敗した時(そして共感を生んでいないのなら、「ほら失敗した!」と本人が感じる可能性は高い)、当の本人の正義は更に強化される。
そんな時は、自分が見えるままに、感じるままに、そして真心を込めて真実を伝える。

「話してくれてありがとう。とても熱意が伝わってきます。ただ、あなたの話を聞いていると、あまりに力強く、そしてとても長く感じるので、時々、その力に圧倒されてしまいます。自分がまちがっているのではないか、劣っているのではないかと不安になる時があります」

ファシリテーターとして、「不安」や「劣っている」と感じていることを相手に晒すことには、少し勇気がいったりする。
それでもありのままの真実を渡す。
相手はハッとした表情を浮かべて自身を省みてくれる。

またある人には、
「もっと謙虚に振る舞ったほうがいいんじゃないですか?」
と「助言」するのではなく、
「今日の午後の会議で、Aさんのプレゼンに対してあなたがコメントしたとき、XXXという発言が、横で聞いていて少し上から目線に感じました。あなたは『一緒に作り上げて良くしたいから』と言っていましたが、Aさんは感情的になって、むしろ防衛的に自分のアイデアを固持しようとしていましたね。」
そう自分の見えた真実をありのまま返す。

真実を突きつけられた時、
自分の行動目的と望む結果が一致していないことに自覚的になる。
なぜそのように振舞ってしまうのか、自己の探求が始まる。
僕の言うことを聞くのではなく、あくまで自分を探求するきっかけとして使ってもらう。

耳を貸すのは真実であることが多い。

感じたことその2:真実を語る人は力強い


「成果を求める自分」と「仲間と共創したい自分」。
こんな葛藤の中で、前者を選択してしまうことに葛藤する人がいた。

またある人は、
「正しいと信じることを貫きたい自分」と「保身を考える自分」に悩み、
時に後者が勝ってしまうことが「情けない」と吐露してくれた。

別の人は、
仕事が好きでしかたなく、人一倍熱意を注ぐのだが、周囲ができないときに苛立ちを覚えてしまうと述べつつ、それは幼少期の辛い出来事に起因していると語ってくれた。

さらに別の人は、
もしかしたら過去の成功体験が、多くをコントロールしたくなる自分の欲求に繋がっているのかもしれないと、共に探求してくれた。

これらの言葉は、どれも自分の真実を語っている。
他者、制度、環境を評論して批判するのは簡単なのに、「自らはどうか」を語っている。
そして、ある意味、自身の柔らかくて弱い部分を差し出しているにもかかわらず、
衝撃を受けるような力強さがある。
弱いのに強い。不思議な現象が起きる。
そんな言葉には本当に胸を打たれるし、心の底から力になりたいと感じる。
たとえ矛盾があったとしても、
本人が、そんな自分を抱えながら自覚的に選択した行動であれば、
それが何であれ、全力で応援したいと感じる。

僕は何もせず、ただそれを受け止めるだけでよい。
真実を語る人は力強い。

感じたことその3:自分の弱さを知ること


今回僕が学んだ最も大きなこと。それは自分のことだった。

ある人との面談中、僕は、
相手にとって耳の痛いかもしれないフィードバックをしなければならないと感じていた。
相手はずっと先輩で(ほとんどがそうなのだが)、知識・経験も豊富だし、弁も立つ人だった。そして分析的な人だった。
フィードバックをしながら、僕の声は少し震えていた。
体はふわふわするし、喉が乾く。
結局その人とは何時間も対話し、
お互いを開示し、理解を深め合うことができた。
「これからもあなたのためならいくらでも時間をとるから。」
最後にはそんな嬉しい言葉も頂いた。

でもその夜のフライトの中で、僕の心はなんだかざわついていた。
あの感覚はなんだったんだろう。

その感情は不安だった。
何に対する不安か。
自分の中で見つかったのは、
「嫌われたくない」だった。
もっと言うと、「皆に好かれていたい」だった。

誠意をこめて、学びを、成長を意図して渡すフィードバックに、
「嫌われるのではないか」という怖さを感じていたのだ。
さらに、相手に嫌われた結果、今回のミッションを達成できなくなるのではないか。
自分の評判を陥れてしまうのではないか。
そんな不安もあったかもしれない。
それがわかったとたん、自分が恥ずかしくなった。
そしてその葛藤さえも面談の場で言語化し、相手に伝えられなかったことを後悔した。

また別の場面で、別の人は、面談の最初や途中でこんな風に言った。
Kimi(僕のこと)といると、精神科医と話しているみたいだ笑」
「いよいよ精神科医っぽくなってきたぞ笑」
冗談めかして斜めに構えるセリフに、僕は動揺した。
そして何度か目の発言で、それまでの観察を踏まえて僕はこうフィードバックした。
他にも対話を深める中での、ごく一部のフィードバックだった。

「冗談めかした先ほどの発言が何度かありましたが、僕には、あなたがそのように二人のことを客観視して茶化すことで、自分の中で安全圏に立とうとしたり、より有利な立場にいようとしているように見えますが、どうですか?そういう風に対人関係に臨むことはありますか?」

答えは図星だった。
その人は、後半、人には普段言わないようなことを話してくれるようになる中で、
前半の発言や自分の関わり方を悔い、謝罪までした。「よくやってしまうこと」なのだと。

そして、ここからが僕の真実だった。
振り返ると僕は、その人とまったく同じパラダイムで出来事を見ていた。
つまり、ファシリテーターとして、コーチとして、優位に立たなければならないと、
どこかで潜在的に感じていただけなのかもしれなかった。

そしてそれを脅かそうとする(そのように見える)相手の姿勢に、
自分自身を投影し、反応していたのだった。

このことは、
何もファシリテーターやコーチとしてではなく、
人と人が関わる時に常に起きていることだったりする。

「あの人はすぐ人のこと批判してばかり」
と言う人が、まさにそれをしていたりする。

「自分のことをまったく信用してくれてない!」
と嘆く人が、実は周りを信用していなかったりする。

「鏡写しの罠」はいたるところにあり、
それに気づく人には、強烈だけど本当に貴重な学びの機会を与えてくれる。

それを1週間でこんなに何度も体験できるなんて!
感謝の気持ちいっぱいの帰路につき、
一番学びを得たのは自分だったのではないかとほくそ笑みながら、

今、また、ここ。

道中、「あぁ〜やばい、悟り開くかも」なんて言いながら、
結局何も分かっておらず、そこに立ち続ける、そんな感じです。

さあ来週は、
ゆーしのすべらない話!



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